脳卒中になって、人生面白くなってきた

愛犬とリハビリして、再生医療受けて、MBAを取って、起業を目指している人の話

大学院生になってしまった15

 セミに入ってみると、優秀な方ばかりだった。もう笑っちゃうぐらいに。半年先輩が3名、同級生が1名の5名であったが、とても刺激的であった。

 私は色々考えた結果、リハビリに取り組むことにした。理由は簡単。自分が苦労したから。脳卒中になると、150~180日は医師が認めればめちゃくちゃリハビリができる。もちろん医師が認めるのが条件。私は猪八戒(入院当時の担当医)のおかげで、これすら満足に受けられなかったのだが。問題はその後。医療保険でも介護保険でも、満足するリハビリが中々受けられなくなる。細かい話は割愛するが、まぁ簡単に言ってしまうと「もうそれ以上の回復は難しいから、受容して今の身体で生きていきましょう」という感じ。冗談じゃない。1年前まで夜9時に思考停止していた人間が、大学院に入り、普通に仕事して、起業を目指している。

 限界は人が決めるものではない。自分で決めるもの。

大学院生になってしまった14

 私が入りたいゼミは1番人気。倍率がめちゃくちゃ高い。まぁあんまり深く考えてもしょうがないので、熱意を書きまくった。元から学位なんて興味がなかった。このゼミに入るために入学したのだ。第2希望に関しては、適当に書いて出した。ごめんなさい<m(__)m>まぁ後先考えないアホなので、許して下さい。

 私は晴れて第1希望のゼミに入ることができた。後からゼミの1名の先生に言われたことがある。あんな書き方されたら、入れないわけにはいかない。諦めなければ、対外のことは上手くいく。たとえ時間はかかったとしても。

大学院生になってしまった13

 2年生となり、ゼミを選択することとなった。修士論文など他の選択もあったが、起業しか考えていない私は「事業計画演習」を選択。更に私が入学を決意した、2名の先生が担当するゼミ以外入る気はなかった。「吉田・太齋ゼミ」。担任の吉田先生は、代表取締役として有名企業を上場させている。それ以外にも華々しい経歴をお持ちで、起業家支援なども行なっている。太齋先生は信用金庫出身で、金融のプロ中のプロ。SBIでは1番授業科目をお持ちで、私も様々なことを教えて頂いた。更に様々な企業で、講師活動も行っている。

 ゼミは少数制の為、必ず希望に入れる訳ではない。志望動機を書き、第2希望まで提出する。第2希望が外れると、後はどこに行くかは分からない。

大学院生になってしまった12

 毎日勉強漬けの日々を送っていた。学校はオンラインとeラーニングが中心であったが、対面授業も行われた。色々な仲間ができ、自分の知らない世界を学んだ。結局人間は1人では生きられない。この頃には多少徹夜をしても、何とか踏ん張れる程に体力は回復していた。ただ朝のリハビリと散歩は、欠かさず行っていた。自分の身体に、過信だけはしない様にしていた。

 1年生も終盤にかかった2019年12月、中国で良く分からない流行り病が発生した。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)。この当時は病気1つで、世の中がこんなにも変わるとは思ってもいなかった。

大学院生になってしまった11

 SBI大学では、人間学という授業があった。中国古典などを学ぶことで人間の根幹をつくるというもの。簡単に言うと、「小難しいこと使えても道徳的に問題ある人は組織のトップにはなれないよね」ということ。「論語」、「貞観政要」「孫子の兵法」、中国古典ではないが「論語と算盤」、様々な授業を学んだ。

 すごく乱暴にまとめてしまうと、結局人の為にならないことは破綻する。人でもビジネスでも。ただ突然神様の様にはなれないから、常日頃から人の役に立てることを心掛けましょう。そうすれば、いつか自分も上手くいくよ。ということだと勝手にまとめた(笑)

 後は「志」、自分の生きる目的。どんなにバカにされても、声高らかに話せる目標。多分これを持つ為に、私はここに来たのだと思う。

大学院生になってしまった10

 その講義が終了する際、先輩が飲み会を企画してくれた。先生は海外に在中していたが、帰国に合わせて開催された。先生は講師を辞め、事業に専念するのだという。当時はコロナなどなかった。とても楽しい時間を過ごさせてもらった。

 この時先生に頂いた言葉で、今も心の支えになっていることがある。講義中、起業で1番重要なのは自分の土地勘(専門性)だと教えられた。私は医療従事者でも何でもない。専門知識がない分野での起業は、やはり辞めるべきかお聞きした。

「松本君はやるべき。小脳が4㎝壊死した身体で感じたことなんでしょ。一緒にやってくれる人を探せばいいんだよ」

成功するかどうかは自己責任。ただ諦めてしまったら、そこで終わり。患者側の土地勘に賭けることに決めた。

大学院生になってしまった9

 先生、先輩、同級生、みんなが暖かかった。決して私の戯言を馬鹿にせず、自分の知識や経験を惜しみもなく与えてくれた。自分もいつかこうなりたいと思った。

 私は結局スマートウォッチが異常を感知して、救急車を直に呼ぶシステムを事業計画書に書いて提出した。システム名は「こぱん」。脳梗塞を経験した方はご存じだと思うが、4.5時間以内に専門的な病院でt-pa療法(血栓溶解療法)を受けられれば、40%近くの方が後遺症を抱えずに帰宅することができる。直接医療につながる環境を作りたかった。ただ実際誰がこんな物作るのだ。私は作り方なんて知らない。正直ドラエモンの世界だな。

 それからしばらくするとAppleが、Applewatchが衝撃を感知すると119番通報をしてくれるサービスをスタートした。もちろん本国アメリカでは、同サービスが以前からあったらしい。私はすぐに購入し、現在も愛用している。無知って本当に恐ろしい。

 ただこの時、考え方は間違っていなかったなと変な自信を持った(笑)。この問題は私が解決する課題ではなくなった。というか作れないし(笑)。