心に穴があいてしまった8
火葬場へ連れて行く日まで、沢山の人と犬が来てくれた。 火葬場に向かう間際も、考えられない程の人達が集まってくれた。そんな暖かい方々に、私はこんな挨拶をした。今でもはっきりと覚えている。
「12年前、彼が我が家に来た時、私達夫婦はコパンと名付けました。フランス語で、親愛なる、相棒、仲間という意味です。彼はその名の通りに生きてくれました。それだけでなく、私達夫婦に皆様という大事な仲間も繋げてくれました。皆様には感謝しかありません。コパンはいなくなりましたが、今後とも私達夫婦をよろしくお願い致します」
私の病気を知って離れていった方も沢山いた。しかしながら助けてくれた方も沢山いた。私の復職までのリハビリ生活の中で、私を最初に救い出してくれたのは近所に住む方々。コパンが繋いでくれた方々。
私はコパンをペットショップで見た時、なんてブサイクなのだろうと思った。マロみたいな眉毛がある犬(笑) 値段も確か7万5千円。
そんな子が私をどん底から救って、12年という短いドックライフをあっと言う間に駆け抜けていってしまった。私はいつも彼からもらうばかりで、彼に何か与えられたのだろうか?
3年たった今では、ベランダでは毎年沢山の朝顔が咲き、沢山の種を残してくれている「コパンの朝顔」
今でも彼からもらってばかり…
心に穴があいてしまった6
コパンはその日の夜、ずっと泣いていた。普段吠えることはないのに。寂しかったのだと思う。私達を心配していたのだと思う。私達夫婦の間で、コパンはずっと泣いていた。
24時を過ぎたあたりで、私達はこうコパンに語り掛けた。
「今まで本当にありがとう。もう頑張らなくていいよ」
その瞬間彼は泣き止み、虹の橋に渡っていった。2018年6月22日。
心に穴があいてしまった5
医師は点滴治療に、毎日自宅まで来てくれていた。忙しい中時間を作って。
コパンは流動食も中々食べられなくなっていた。しかしながら私達夫婦は、針のない注射器で様々なものを口から流し込んだ。エゴかもしれないが、1日でも長く見守りたかった。
6日目の夜。私は翌日の出張に備えて手土産を購入し、少し遅めに帰宅した。玄関にはいると妻が開口一番、コパンの様子がおかしいと言った。
最後に外の空気を吸わせたかった。カートに入れて散歩に行こうとしたが、首がすわらず乗せることが出来ない。そこでベランダに布団を引き、そこで一緒にいることにした。私はそこで夕食を取った。
ベランダにはコパンと植えた朝顔が、元気にツルを巻いていた。
心に穴があいてしまった3
第1回目の抗がん剤が行われた。コパンは見違える様に元気になり、お気に入りの公園を一緒に散歩した。このまま良くなるのだと思った。
この公園は私が病気をする前からよく来ていた。休職中は妻が、コパンと私を連れてきてくれていた。
コパンは私が病気になってから、私のことを本当に気遣ってくれていた。自分もつらいだろうに。いつも私を見守り、おぼつかない私の歩きを横で支えてくれていた。