脳卒中になって、人生面白くなってきた

愛犬とリハビリして、再生医療受けて、MBAを取って、起業を目指している人の話

2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧

廃人になってしまった11

私は傷病手当をもらう為、定期的に猪八戒(入院していた時の担当医)に診断書を書いてもらう必要があった。現在リハビリで通院している回復期病院では、書けなかった。その為月に1度、入院していた大学病院に通院していた。 猪八戒はもちろん現状の私を知らな…

廃人になってしまった10

私はアホなりにも、リハビリ時間が少ないことには気づいていた。だから自宅で自主リハを沢山おこなった。鶴は何千羽折っただろう?高校球児に寄贈したいぐらい折った。分からないなりに、専門書も読んだ。左手で電卓を使って計算したり、おはじきを紙コップ…

廃人になってしまった9

回復期病院では、作業療法(手のリハビリ)に集中することになった。半年後の復職を目指すことになった。多分私はこの作業療法士に出会わなかったら、人生終わっていた。本当に出会いって大事。 私のリハビリは、左手の失調(肘が上下に勝手に動いてしまう)改善…

廃人になってしまった8

入院中よく親戚がお見舞いに来てくれた。みな退院後も色々と面倒を見てくれた。中でも1人マメに電話をくれ、アドバイスをくれた方がいた。こんな本を読んだ方が良い、こんなYouTubeを見た方が良い、全ては私を前に突き動かすものであった。 後遺症で本やスマ…

廃人になってしまった7

休職中、義父とその友人がビリヤードに連れて行ってくれたことがある。義父は75歳を超えていたが、服装も若く活発であった。大病を繰り返していたが、その度に復活した。 ビリヤード場には電車で向かった。当時電車に乗ることは地獄であった。階段やエスカレ…

廃人になってしまった6

夕方の散歩は、ご近所の犬が散歩をしている場所を選んだ。コパンに遊んでもらいたいというのもあったが、社会との繋がりを絶たれた私にとって、その場所が全てであった。ご近所の方達は、ただただ暖かかった。ゆっくりとしか歩けない私に、歩調を合わせてく…

廃人になってしまった5

退院から1ヶ月程すると、コパン(愛犬)を何とか抱き抱え、散歩に行くことができる様になった。コパンの散歩は朝と夕方。朝は妻がアルバイトに行ってから、雨が降らない限り毎日行っていた。16時以降に全機能が停止してしまう私は、夕方の散歩は15時頃に出てい…

廃人になってしまった4

半年間のリハビリ生活がスタートした。週に2回、バスに乗り回復期病院への通院。リハビリは1回につき40分。制度についてきちんと知った今では、滅茶苦茶少なかったことが分かる。猪八戒(入院当時の担当医)のせいだ。だから自宅で行う自主リハは、必死に行っ…

廃人になってしまった3

家に着くと、コパン(愛犬)が狂った様に飛びついてきた。本当に嬉しかった。生きていて良かったと感じた。ただ上手く抱え上げることが、出来なかった。撫でてやることも、ままならなかった。悲しかった。これからどう生きていけば妻やこの子を養えるのか、見…

廃人になってしまった2

当時の後遺症について少しお話する。少し長くなるが、ご了承を。 1、歩行については、見た目は健常者と変わらないまでになっていた。ただ左足が自分の思った様に上がらず、常におっかなびっくり歩いていた。 2、左手については、肘が上下に大きく揺れてい…

廃人になってしまった

1ヶ月の入院生活で、私の体重は10㎏以上落ちていた。52㎏。高校生以来だった。 入院中は病室のある階だけしか、歩行を許されていなかった。よく理学療法士が、指示を出さない医師に対し怒っていた。その理由は下界に出てすぐに分かった。 退院時、妻と義母が…

入院患者になってしまった10

私の退院日が決まった。入院からちょうど1ヵ月。結局、脳梗塞の理由は分からず。ちなみに脳梗塞の原因は、大きく分けて3つある。ここでは細かい話はしないが、私には心臓から起因する、脳梗塞予防薬が処方された。いわゆる血液サラサラの薬。しかしサラサラ…

入院患者になってしまった9

入院中は義母が毎日来てくれた。来なくてよいと言っても、毎日来てくれる。義父もちょくちょく来てくれた。また親戚も頻繁に来てくれた。本当に感謝している。仕事関連はお断りしていたが、それでもお見舞いに来てくれる客先や仕入先もいた。私は恵まれてい…

入院患者になってしまった8

そんな時に同室の男性の原因が判明した。ALS。筋萎縮性側索硬化症。段々全身の筋肉が動かなくなり、自呼吸もできなくなる。頭はしっかりしている、患者にとっては大変つらい病気。私の叔母がALSの為、そのつらさは良く知っていた。 自分が退院後、1度だけお…

入院患者になってしまった7

私の入院生活を支えてくれたのは、同室の男性であった。私より少し年上。原因は分からないが、両足が上手く動かなくなってきているという。私や家族をいつも気遣ってくれ、やさしく声を掛けてくれた。私にとって、唯一の救いだった。 私は毎日検査をしたが、…

入院患者になってしまった6

私は暇な時間を、徹底的に自主リハにあてた。理学療法士と作業療法士が、色々と自主リハプランを立ててくれた。ずっと廊下を歩きまわり、教えられたストレッチを続けた。折り鶴もどれだけ折っただろう。いびつな折り鶴。千羽鶴にしたら、縁起が悪そう。クロ…

入院患者になってしまった5

病院内でのリハビリ時間以外は、とても暇であった。私は自分が入院しているフロアから出ることを、担当医に禁止されていた。入院期間中ずっと。 そのことを、担当療法士は怒っていた。だから患者が良くならないと。今となってよく分かるが、療法士の考えが正…

入院患者になってしまった4

ベッドでの軟禁生活終了後、本格的なリハビリがスタートした。私は理学療法(身体全体のリハビリ)作業療法(主に手先のリハビリ)を受けることになった。びっくりしたのは自分の左手であった。左肘が勝手に上下に大きく揺れる。全く定まらない。文字を書こうと…

入院患者になってしまった3

結局私の場合発症から時間が立ちすぎていた為、根本的な治療方法は何もないとのこと。そんな状態の中、病室に理学療法士がやってきた。私はベッドから頭を動かしてはならない、軟禁生活中。療法士は私の足を、ベッド上で動かしてくれた。 当時は何を言ってい…

入院患者になってしまった2

ベッドで頭を動かしてはならない軟禁生活も、3日過ぎるとお腹が空いてきた。看護師に懇願しても、食事はダメだという。点滴で栄養は充分賄えているとのこと。普通この状況で、お腹が空く患者はいないのだという。誰が普通なのかは分からないが、私はお腹が空…

入院患者になってしまった

その時は、やっと私を理解してくれる人が出たことに安心をした。ここからは絶対に歩かない様に指示が出た。入院ベッドまでは車いすに乗せられ、看護師さんが連れて行ってくれた。私の病気を見つけてくれた医師は准教授で、入院患者の担当をすることはないそ…

脳梗塞になってしまった7

脳神経内科の先生は、とても良い方だった。まず私の歩行を見て、緊急でMRIを入れてくれた。撮影は夕方とのことなので、私は病院の食堂に行きミートソーススパゲティを食べていた。隣で妻は呆れていたが、なぜかお腹だけは空くようになっていた。 MRIが終了し…

脳梗塞になってしまった6

月曜日になり、緊急で運ばれた大学病院の耳鼻科を受診。吐き気はなくなっていたが、真っ直ぐ歩くことができない。勝手に左にいってしまう。待合室の椅子に座っているのも苦行。数時間待たされ、やっと呼ばれる。中に入るとひょろりとした、見るからに高慢そ…

脳梗塞になってしまった5

自宅では、コパン(犬)が心配そうに見ていた。そりゃそうだ。トイレに行くのも真っ直ぐ歩けない。寝てれば治るというが、本当に治るのか?確かに吐き気は徐々に落ち着いてきた。もう月曜日までひたすら寝続けるしかない。コパンは私のまわりを、心配そうに歩…

脳梗塞になってしまった4

大学病院に付くと、強面の医師。土曜日なので、緊急外来しか空いていなかった。後から知ったが、その医師は外科医であった。その後CTを取り、再度医師に呼ばれる。どこも悪くないから帰れという。いやいやそんなことはない。ただ残念ながら、気持ちが悪すぎ…

脳梗塞になってしまった3

もうそこからは良く覚えていない。救急隊員にタンカーに乗せられ、ゲーゲー吐いていた。何升飲んでもあんな吐き気は感じたことがない。人生で初めての経験。救急車の中で、かかりつけの病院を聞かれた。偶然財布に診察券が入っていた、自宅近所の大学病院の…

脳梗塞になってしまった2

2016年9月のある土曜日、私はゴルフレッスン場にいた。2年程習っていたが、一向に上手くならない。多分センスの問題。仕事で始めたゴルフも、その頃の私には唯一の楽しみであった。そんなに好きなのに、100を切る気配すらなかった。 その時いきなり考えられ…

脳梗塞になってしまった

人生楽しくてしょうがない!それが今の私。 私は5年前に小脳梗塞になりました。歩くこともままならない、人生のどん底。0からのリベンジ。 家族や愛犬、仲間達に支えられた復活の5年間を、少しずつ書いていきます。 転職をしてから、ずっと後悔ばかりしてい…