脳卒中になって、人生面白くなってきた

愛犬とリハビリして、再生医療受けて、MBAを取って、起業を目指している人の話

大学院生になってしまった11

 SBI大学では、人間学という授業があった。中国古典などを学ぶことで人間の根幹をつくるというもの。簡単に言うと、「小難しいこと使えても道徳的に問題ある人は組織のトップにはなれないよね」ということ。「論語」、「貞観政要」「孫子の兵法」、中国古典ではないが「論語と算盤」、様々な授業を学んだ。

 すごく乱暴にまとめてしまうと、結局人の為にならないことは破綻する。人でもビジネスでも。ただ突然神様の様にはなれないから、常日頃から人の役に立てることを心掛けましょう。そうすれば、いつか自分も上手くいくよ。ということだと勝手にまとめた(笑)

 後は「志」、自分の生きる目的。どんなにバカにされても、声高らかに話せる目標。多分これを持つ為に、私はここに来たのだと思う。

大学院生になってしまった10

 その講義が終了する際、先輩が飲み会を企画してくれた。先生は海外に在中していたが、帰国に合わせて開催された。先生は講師を辞め、事業に専念するのだという。当時はコロナなどなかった。とても楽しい時間を過ごさせてもらった。

 この時先生に頂いた言葉で、今も心の支えになっていることがある。講義中、起業で1番重要なのは自分の土地勘(専門性)だと教えられた。私は医療従事者でも何でもない。専門知識がない分野での起業は、やはり辞めるべきかお聞きした。

「松本君はやるべき。小脳が4㎝壊死した身体で感じたことなんでしょ。一緒にやってくれる人を探せばいいんだよ」

成功するかどうかは自己責任。ただ諦めてしまったら、そこで終わり。患者側の土地勘に賭けることに決めた。

大学院生になってしまった9

 先生、先輩、同級生、みんなが暖かかった。決して私の戯言を馬鹿にせず、自分の知識や経験を惜しみもなく与えてくれた。自分もいつかこうなりたいと思った。

 私は結局スマートウォッチが異常を感知して、救急車を直に呼ぶシステムを事業計画書に書いて提出した。システム名は「こぱん」。脳梗塞を経験した方はご存じだと思うが、4.5時間以内に専門的な病院でt-pa療法(血栓溶解療法)を受けられれば、40%近くの方が後遺症を抱えずに帰宅することができる。直接医療につながる環境を作りたかった。ただ実際誰がこんな物作るのだ。私は作り方なんて知らない。正直ドラエモンの世界だな。

 それからしばらくするとAppleが、Applewatchが衝撃を感知すると119番通報をしてくれるサービスをスタートした。もちろん本国アメリカでは、同サービスが以前からあったらしい。私はすぐに購入し、現在も愛用している。無知って本当に恐ろしい。

 ただこの時、考え方は間違っていなかったなと変な自信を持った(笑)。この問題は私が解決する課題ではなくなった。というか作れないし(笑)。

大学院生になってしまった8

 1年生の前期。私の人生を左右する授業を選択した。2年で受けるゼミ「事業計画演習」の基礎を教えてくれるという。授業を受ける条件に、「事業計画書を書いたことがある人」とあった。本を1冊読んだだけで書き、周囲をドン引きさせた「自称事業計画書」しか書いたことはなかったが、まぁ何とかなるだろう!

 授業は実践的であった。先生は実績・知識ともにすごい方である。現在は講師を辞めて、海外で事業に専念されている。授業をサポートしてくれる先輩達も、実績・知識ともにすごい方であった。その中の1人三宅さんは現在実際に起業家として活躍されており、頻繁にご相談に乗って頂いている。同期の生徒達も実際に起業していたり、有名企業に勤めていたり、もう凄い人達ばかり。本来一歩引いてしまうのだろうなぁ。アホな私はその様な環境が、楽しくて仕方がなかった。この方達にお会いできたことが、私の大きな、大きな財産。

大学院生になってしまった7

 授業が開始されると、私の身体は悲鳴を上げた。21時以降起きていることが出来ない身体。ただそんなこと、言っていられない。他の生徒とグループで行う授業もある。もう必死でついていくしかなかった。

 私の体力と後遺症の回復は、この学校に通った2年間が大きなターニングポイントだったと思う。もちろん皆さんに無理をしろというわけではない。再発したら、元も子もない。ただ回復期だの生活期など誰が決めたか訳わからない言葉で、自分の回復の限界を勝手に決めないでもらいたい。それは参考値。自分が決めなければ、回復に限界なんてない。

大学院生になってしまった6

 しばらくすると、大学事務局から連絡が入った。入学式で入学生代表の答辞を行ってほしいという。元々人前で話すことは嫌いだったが、受けることにした。

 入学式当日はかなり緊張していた。本学はだけでなく世界中に生徒がいる為、オンラインでも繋がっていた。

 副学長(現学長)、生徒会長からの祝辞があり、私の番になった。壇上に上がり5分程お話をし、自席に戻った。まぁ無難に終わったと思っていた。

 翌日事務局から連絡があった。私はスピーチ中、マイクのスイッチを入れ忘れていたらしい。オンラインで参加していた方は、もうただの放送事故。突っ立っている私を見ていただけ。そこで代読とテロップを入れ、ビデオで流してよいかとの連絡であった。事務局には手間をかけさせてしまった。

大学院生になってしまった5

 教育訓練給付金の申請も終わり、後は合格発表を待つだけ。もし落ちたとしても、メールで通知が来るそうだ。

 発表日、いくら待ってもメールが来ない。不合格でもメールを出すと言ったのに!17時近くなって事務局に電話をしてみると、すでにメール済みだという。いやいや来てないから。電話を切ると同時にメールが来た。合格していた。

 ただ後から知ったのだが、この当時はまだ学校自体の人気もなく、定員割れしているケースもあった様だ。現在は倍率も高いらしく、私では絶対入学できないな(笑)